2014年7月10日木曜日

 突然、僕がいた交差点の向こう側がにぎやかになった。なんだろうと思ってみてみたら、

たくさんの人が「わっしょい、わっしょい!!」といいながら進んでいた。

 御神輿が見えた・・・。

 これは、五番山笠 西流の神輿です。
頼朝の義経ですね。

牛若丸(うしわかまる)

「御存知、牛若丸は源義経の幼名です。父は源義朝、母は絶世の美女として誉れたかき常盤御前。牛若丸はこの二人の九男として生まれましたが、父義朝が平治の乱で敗死したため、幼くして京都の鞍馬寺に預けられました。幼少の頃より武芸に励み、多くの書に親しんだといわれています。成長の後、奥州平泉へ下って藤原秀衡の庇護をうけ、さらに文武に磨きをかけました。この間は伝説が多いのですが、史実に現れるのは二十二歳のとき。兄頼朝の平氏打倒に呼応し、一の谷、屋島、壇ノ浦の合戦で知略をもって功名をたて、平氏滅亡の立役者となりました。しかし、頼朝の許可なく官位を受けたことや合戦時の独断専行などが兄の怒りを買い、朝敵となって落ち延びた奥州で自決し、三十一歳という若さで非業の死を遂げたのでした。その生涯は世人の同情をひき、判官轟肩という言葉や多くの伝説や物語を残しました。牛若丸時代に京の五条の橋上で弁慶を懲らしめ、家来とした話はあまりにも有名です。「栴檀は双葉より芳し」。幼いころから才気にあふれ、時代の転換期を切り開いた好男児”牛若丸”。自らの信念を貫き通したその勇気と清々しさは、混迷を続ける現代にふさわしく、標題と致しました。」

1 件のコメント:

どぶろく さんのコメント...

牛若丸と弁慶。義朝と常盤御前。兄頼朝。
平泉の藤原三代と金色堂。
うーん、ぜんぜんわかんない。
ジンギスカンが牛若丸だったという噂もあるけど。